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ギャラリー・ショウ・コンテンポラリー・アートの歩み  
     
  2008年3-4月
1960年代から1980年代までアメリカを代表する版画工房: ULAE, SIMCA PRINT ARTISTS, TYLER GRAPHICS, GEMINI G.E.L.で積極的におびただしい数の版画作品を 製作してきた2人のアーティスト、ジャスパー・ジョーンズとロバート・マザーウェルにスポットを当て、当時のエッチング、リトグラフに見られるアナログ的完成度の高さと現代のデジタル処理を基本とした希薄な質の版画作品との対比を検証する事を目的とした。

同年2-3月
「6人の、新アーティスト展。」に始まった「新しいアーティストの紹介とプロデュー ス」活動をGALERIE SHO PROJECTSと位置づけし、その第二弾として「7人の新人展」を 開催。
「かすかな気配」を紙やキャンバスに表出させることで他者との共有を潜ませる東美貴子、コンセプト重視のイマドキ表現の中に確かな画力を感じさせる石井弘和、花とコスプレの組み合わせで女性の多面性を表現する伊東明日香、物や場所の境界線=対極する物事の間にある空間を追求する写真家・鴨川寛子、迷いのない筆致で現代の脆く危うい人間関係を表出するMASAKO、ほのぼの×狂気の不思議なカップルが登場する中嶋寿挙、アルゼンチンというバックグラウンドを感じさせつつも軽やかな作品を描くフェ ルナンダ・ヴィレリア。そして前回の「6人の、新アーティスト展。」で好評を得た鈴 木愛美をゲスト・アーティストとし新作を展示。
個人コレクターの関心を引いた今回のグループ展は、GALERIE SHO PROJECTSの活動を 拡大していく足がかりとなるだろう。

同年1-2月
昨年夏に開催した「6人の、新アーティスト展。」に続き、新人アーティストにスポットを当てた企画として「大槻素子 innocent bystander」を開催。
昨年春に大学院を修了したばかりの大槻にとって今回は初めての個展でもあり、1年間の集大成でもあった。タイトルの「innocent bystander」とは「傍観者」の意。大槻作品に漂う一抹の不安と物足りなさは、どこか浮遊し少し離れたところから見つめる傍観者の視点と似ているように思う。会場いっぱいに展示された110点の作品は来廊者 の視点を静かに捉え、浸透していくようであった。

同年1月
「・・・ん?フェイク?」展開催。
これぞ国内では恐らくギャラリー・ショウでしか展開できないであろうポップ・アートを知り尽くしたギャラリーによる展覧会。 三人の盗用芸術家、リチャード・ペティボン、エレン・ステュートヴァント、マイク・ビドロを配し、アンディー・ウォーホル、ジャスパー・ジョーンズ、ロイ・リキテンスタイン、フランク・ステラ、ジャクソン・ポロックら巨匠達の贋作展示?と言うより、見事なまでに三人三様の独自のコンセプトで巨匠達の作品をリメイクした内容だが、国際的にはアプロプリエーション・アートと言うジャンルと市場は既に確立されている。贋作=フェイクならぬ、紛れもない評価の高い真作の展示の数々は長らく私がしたためてきた企画である。
本展覧会のタイトルは元々、細野不二彦氏が漫画「ギャラリーフェイク」で描いてきた内容をいつの日か具現化したいと言う考えの元、3年余りの歳月をかけ、作品収集を重ね、実現の運びとなった。

同年1月
ART@AGNES出展
展示内容で初めてウォーホル、バスキアと言った過去のギャラリー史の中での看板アーティストを除外したインスタレーションを展開。
ルネ・マグリットのグワッシュを核としたシュールレアリストの作品から新しくスタッフがディレクションを行う、「ギャラリー・ショウ・プロジェクツ/Galerie Sho Projects」で紹介する新人アーティスト 達の作品群をギャラリーの基本コンセプトである「すべてのアートはポップになり得る」の元に構成。
主な展示作家はRENE MAGRITTE, MAN RAY, CHRISTO, MARTIN KIPPENBERGER, HELMUT NEWTON, DONALD BAECHLER, RICHARD SERRA, SOL LEWITT, ROBERT FARBER, MARKUS AMON, CLARA DESIRE, LEONEL MATHIEU, BELLINDA, 東美貴子、伊東明日香、大槻素子、今野聖子、MASAKO(順不同)

2007年12月
ヴィンテージ家具を専門に取り扱うSIGNがギャラリー・ショウとタグを組んだコラボレーション展「Design Meets Art」。
この企画はSIGNを主宰する佐藤歩氏の熱意に打たれ実現した。彼が扱うジャン・プルーヴェ、ル・コルビュジェ、セルジュ・ムイユらフランスを代表するヴィンテージ家具デザイナーとジャン=ミシェル・バスキア、サイ・トゥオンブリの素描を組み合わせたとてもオシャレな展示となり、多くの来廊者、並びにプレスの支持を得た。佐藤氏が目指した毒を抜き去り洗練した展示構成は、独創的に富んだ個性的展示を売り物にするギャラリーの基本コンセプトとは一線を画す新鮮な内容となった。

同年10月-11月
ここ1年間、かなりのハイペースで国内外の新しいアーティストの紹介とプロデュースに力を入れてきた。その第一弾が3月に行われたクララ・デジレ/CLARA DESIREの初個展「All About Clara」であった が、それより以前、村上弘人の絵を偶然に銀座の貸スペースで見かけた。当時の村上はどっぷりと日本画家の形態の中で作品を見せていたが、彼のポップな色彩感覚から、よりインターナショナルに通用するポップ・アーティストへの変貌の可能性を模索したくなった。村上は製作の傍ら、絵画教室を主宰する先生でもあるが、変化を恐れず、前向きな姿勢を持ち合わせているアーティストである。我々の意見を素直に取り入れ、展覧会で発表した作品についてはサイズから画面処理の仕方まで全てを任せてくれた。結果、彼のギャラリーでの個展「ザ・リズム」は全体的に統一感があり且つ静寂な雰囲気を醸し出し、ウォーホルの花シリーズのインスタレーションをも彷彿とさせるポップな空間となった。

同年9月-10月
ギャラリーのディレクター、佐竹昌一郎による究極のセレクション「スケッチ・ブック」展は、2004年10月に開催された佐竹が選んだ88人のアーティスト展の第2弾として、プリミティブ、浮世絵、レアリズム、インプレッショニズム、ダダ、ネオ・ダダ、ジャーマン・エキスプレッショニズム、シュールレアリズム、アブストラクト・エキスプレッショニズム、ポップ、ミニマル、コンセプチュアル、ネオ・ポップ、グラフィティー、アプロプリエーション、ネオ・コンセプチュアル、ネオ・インプレッショニズム、ネオ・エキスプレッショニズム、ハード・コア・フォトグラフ、ファッション・フォトグラフ等かなり幅広いジャンルから作品を選択。異ジャンルのアート同士が複雑に絡み合い一空間を構築する醍醐味のある展示となり、ギャラリーの基本コンセプト「全てのアートはポップになり得る」と「アンバランスの中の協調性」を忠実に表現出来る内容となった。

同年8月-9月
余りに対照的な二人のヌード写真家、荒木 経惟/NOBUYOSHI ARAKIとギド・アルゼンチーニ/GUIDO ARGENTINIを中心に展開する納涼エロス祭りを企画。 荒木の無修正な猥褻の極 限をいく大判画面に立ち向かうイタリアの新星、アルゼンチーニはヘルムート・ニュートン/HELMUT NEWTONの流れを汲みつつ、ニュートンから毒を抜き去ったエレガン スをこよ なく追求する描写で荒木とは対曲線上に位置する。彼の作品は観る者にヌード写真における表現性の奥深さを体感させたに違いない。 一見戯けたタイトル、「今年の夏はエロス祭りで〜 納涼現 代アート展〜」における試みは、結果多くの鑑賞者を迎える事ができた。展示内容の濃さ(過激さ)にほとんどの男性来廊者が無言の内にギャラリーを立ち去る光景が、展覧会の中身より遥かに興味深いものとなった。

同年7月
ギャラリースタッフが初めて独自で企画立案したニュー・アーティスト6人展を開催。日本からは村上弘人、大槻素子。キューバからはLeonel Matheu / レオネル・マチュー。スウェーデンから三人組 のLucky Thief / ラッキー・スィーフ。フランスからClara Desire / クララ・デジレ。そして日露ハーフのMiya Ando Stanoff / 美夜 安藤 スタノフ。これに加えゲスト・アーティス トとして東京藝術大学大学院に在学中のCamille Fontaine / カミーユ・フォンテンヌ。高校生とは思えない程、鋭い発想とタッチで現代を切り裂き描く、鈴木愛美が参加。初めて企画した新人の展覧会と しては、各々のアーティストの作品がほぼ完売となる異例の結果となった。

同年6月
過去のギャラリーの傾向からの離別を匂わせる文学の要素を取り入れた「文字と数字と符号で表現される近代から現代の美術展」を開催。特筆すべきは近代からは20世紀初頭、フランスで注目を集めた狂気の演劇家兼詩人であるAntonin Artaud / アントナン・アルトーのオリジナル書簡やRene Magritte / ルネ・マグリットの未来の年号を石碑の上に描いた「微笑み」、そして現代にいたっては、黒人差別を強く文字の反復で訴えるGlenn Ligon / グレン・ライゴンの作品、そして国内で目の当たりにするのは珍しい、文字のみで描かれたウォーホルの巨大作品があげられる。

同年5月
イギリスの心象風景画家、Trevor Sutton / トレバー・サットンの近作個展の開催。本展覧会の為にアーティストが特別に描きためた同サイズの作品の展示でギャラリーに独特のアンビエントな空間が構築された。(この展覧会でのライブ・アクトはヒーリング・ミュージックの新星、U (ゆう)が担当。日本の童謡を英語ヴァージョンで歌い、絵画と音 楽の見事な調和を果たした。)

同年4月
東京、有楽町の国際フォーラムにて開催のアートフェア東京2007(2007.4.10-4.12)に出展。

同年4月
ウォーホル同様、ギャラリーの看板アーティストとして国内では最も多くの作品を扱ってきたJean-Michel Basquiat / ジャン=ミシェル・バスキアのペーパー・ワークス(works on paper)に限定した展覧会を開催。海外ではCHEIM & REID等、バスキアを扱うギャラリーが過去に試みた企画ではあったが、国内では1998年のPARCOギャラリーで開催された“KING FOR DECADE”出版記念に因んだ展覧会以来 の企画となった。

同年3月
フランスの新星、グラフィティ・アーティスト、Clara Desire / クララ・デジレの日本初の個展、“ALL ABOUT CLARA”を開催。フランス版バスキアとも見間違える落書きアート が新しい日本のファンを多数呼び込むも、クララの描く作品内容はバスキア程に狂おしい差別問題等に端を発する事なく、あくまでも日常生活の楽しさを自ら好む音楽や漫画から引用する。又この展覧会より初の試みとして、オープニングにて作品に合わせたライブ・アクトを組み込んだ。(第1回目はファンク・ロック・ブルースの雄、アツヤキ・ブルーが務めた。)

同年1月
東京、神楽坂のアグネスホテル アンド アパートメンツ東京にて開催のA@A アート・アット・アグネス 2007(2007.1.13-1.14)に出展。

同年1月
長年にわたり実験的なマルティプル・アート(複数芸術作品)の製作において他の追随を許さず、ユニークな形で作品発表に関わってきたエディション・シェルマン(ドイツ、ミュンヘン)の協力を得て、ギャラリー独自のアレンジでシェルマンがプロデュースしてきた作品群を“SHO PROJECTS II WITH THE PUBLICATIONS BY EDITION SCHELLMANN”と題して開催。版画作品に 留まらない限定立体作品を多数紹介。

2006年12月 
Andy Warhol / アンディー・ウォーホルの初期から後期までを幅広く網羅した、ギャラリーにおいては恐らく最後になるであろう長年の看板アーティスト、故ウォーホルの全貌が垣間見れる展覧会を開催。国内で最大規模のウォーホルを扱ってきたギャラリーとしての役目に終止符を打つ。

同年11月
Art Cologne 2006 (Cologne, Germany)に出展。

同年9月
イギリス人写真家、David Stetson / デヴィッド・ステットソンを起用し、ギャラリーの独自のプロデュースで撮り下ろし、製作された“PICTURES AT AN EXHIBITION”シリーズ完成。限定:通常版-各10、大判-各3、ギャラリーが所有するコンテンポラリー・アートの重要作品群に則した状態にモデルを設定した実験的プロジェクト。アーティストの過去の作品と共に個展開催。

同年9月
ロシアと日本の血を引く鉄の板切れの中に魂の息吹を吹き込むニューヨーク在住の新鋭女流作家、Miya Ando Stanoff / 美夜 安藤 スタノフの日本初の個展開催。

同年6月
“INTRODUCTION OF 3 CONTEMPORARY INDIE ARTISTS”と題して、新たなグラフィティー・アーティストとして頭角を現し始めたフランス女性、Clara Desire / クララ・デジレ、伝説的なバンド、ラウンジ・リザーズでミュージシャンとして活躍しながら、映像への才能も発揮するアメリカのアーティスト、John Lurie / ジョン・ルーリー、近年まで、過度なわいせつ性により国外輸出禁止にまで追い込まれていた「生殖器」をテーマに描き続けるアメリカ女流作家、Betty Tompkins / ベティ・トンプキンスら3人による異色グループ展。

同年3月
ギャラリー・プロデュースによる上田義彦、初の限定写真としての撮り下ろしヌード・プロジェクト完成。“STANDING FULL NUDE SERIES BY YOSHIHIKO UEDA”展開催。限定:通常版各10、大判各1

同年1月
PALM BEACH3 (Florida, USA) に出展。Jonathan Seliger / ジョナサン・セリガーによるギャラリー・プロデュースのブロンズ製ショッピング・バッグが好評を博す。

2005年12月
ジャック・シェイマン画廊の主力アーティストの一人、Jonathan Seliger / ジョナサン・セリガーの日本初の個展。この個展に際し、アーティストにギャラリー独自のプロジェクトとし、ブロンズで作られた4つの異なったブランド(CARTIER, VUITTON, BVLGARI, HERMES)のショッピング・バッグのオブジェを限定生産販売。限定:5(HERMES, BVLGARI, CARTIER)と10(VUITTON)

同年10月
ニューヨーク、レオ・キャステリ画廊の主力アーティストであり、ポップ・アーティストのミニチュア作品を作り続けるRICHARD PETTIBONE / リチャード・ペティボンの日本初の大規模な個展開催。

同年5月
ART CHICAGO AT THE PARK(Illinois, USA)に出展

同年4月
ニューヨーク、ジャック・シェイマン画廊から選りすぐった作家の作品を収集、“SHO PROJECT 1 WITH SHAINMAN’S ARTISTS”を開催。

同年2月
第2回目のAndy Warhol / アンディー・ウォーホルとJean-Michel Basquiat / ジャン=ミシェル・バスキアの2人展を開催。

2004年10月
初の自分自身の心に触れると言うテーマで“SKETCH BOOK 88 BY SHOICHIRO SATAKE”と題し、88人のアーティストの作品を擁したグループ展開催。

同年8月
この年、自動車事故で劇的な死を遂げたHelmut Newton / ヘルムート・ニュートンへ捧げる“HOMAGE TO HIS SOUL 01232004”展を開催。

同年5月
ART CHICAGO AT NAVY PIER (Illinois, USA)に出展

同年4月
上田義彦個展“RECENT WORKS 2002-2004”開催。

2003年9月
サンフランシスコの画廊、ステファン・ワーツの協力によりRaymond Saunders / レイモンド・サンダースとJean-Michel Basquiat / ジャン=ミシェル・バスキア展開催。2人の対照的な黒人アーティストを各々の作品を通して検証。カタログ序文はバスキアの友人であり美術評論家として名高いGLENN O’BRIENが執筆。

2002年2月
青山のギャラリー時代に開催した「アート・ギャラリーが認めるヌード写真の実際」(1994年3月)の続編とも言える「13人の現代写真家による華麗なる女性達」展を開催。いずれの展覧会も時代を通じての人物写真におけるポップ・カルチャーの実態を追求。

2001年9月
Andy Warhol / アンディー・ウォーホルとJean-Michel Basquiat / ジャン=ミシェル・バスキアのコラボレーション作品を含む2人展を開催。

2000年12月
広告写真界の巨匠、Yoshihiko Ueda / 上田 義彦との出会いから海外における上田氏のプロモーションを開始。カタログ製作、DAVID KUSPIT(ARTFORUM MAGAZINE主任編集員)による序文。

同年9月
Jean-Michel Basquiat / ジャン=ミシェル・バスキアの3度目の大規模な個展を開催。

1999年10月
サンフランシスコ湾岸地域の「蜜蝋」を多用して原始的空間を産み出す新鋭作家、Pauletta Chanco / ポーレッタ・チャンコの日本初の個展開催。

1998年7月
ビデオ・アーティストとして世界的評価を不動のものとしたナムジュン・パイクから高い評価を得る、映像作家であり現東京芸術大学講師のIngo Gunter / インゴ・ギュンターの「日本とアメリカの為のプロジェクト」をプロデュース。同時に個展開催。

1997年10月
新宿三越美術館、ジャン=ミシェル・バスキア回顧展、企画協力。同時にギャラリーにてバスキアの2度目の個展を開催(バスキア個展年譜に掲載)。

同年8月
ニューヨーク、ロナルド・フェルドマン画廊からの巡回展として日本初、Edwin Schlossberg / エドゥイン・シュロスバーグ展開催

1996年
アイデアの枯渇と日本における現代美術市場の衰退に失意を抱き、青山のギャラリーを閉鎖。古巣の日本橋の事務所兼展示室のみにての活動に戻る。

1995年8月
ギャラリー・スタッフ、SHIGEKI KOMORIの企画により第2弾、子供達による「いつ始まりいつ終わるかわからない」展を開催。子供の背の高さにより三層の色の違う紙をギャラリー・スペース全域に配置。小さな子供は低い位置。大きな子供な高い位置にと毎日様々な不特定多数の子供アーティストで会場が湧いた。

同年5月
ニューヨークを拠点とし活動するインディアンの血を引く、ファッション写真家Shiela Metzner / シーラ・メツナーの大規模な個展開催。

同年4-5月
前年1994年にフランス人写真家、Bettina Rheims / ベティーナ・ランスにギャラリー撮り下ろしプロジェクト第2弾として製作依頼した“CHAMBRE CLOSE”日本版(写真作品5枚組)が完成。過去のアーティストの作品と共に展覧会を開催。限定:各15

1994年10-11月
円谷プロダクションの全面的協力の元に、実写に使用した怪獣の着ぐるみ9点の貸与を受け、ギャラリー内にウルトラマンの「怪獣墓場」を再現。ギャラリーの基本コンセプト「ポップ・アートとポップ・カルチャーの探求」を、流通する美術品以外で初めて具現化する。

同年5-6月
ヘルムート・ニュートンのギャラリー独自のプロジェクト完成と同時に個展“NEW EDITIONS + RETROSPECTIVE PRINTS”展を開催。

1993年10月
ウォーホルに最も現代的な写真家と評されたChristopher Makos / クリストファー・マコスのリネンにフォトグラビュ−ル技法でプリントされた「7人のニューヨーク・アーティスト」シリーズを製作。焼付け技師にRobert Mapplethorpe / ロバート・メープルソープのマスター・プリンターであったSUE EVANSを起用。限定:各2と各12の異なった2ヴァージョン。

同年8月
青山学院初等部、美術科主任教員の全面的協力の元に都内のインターナショナル・スクールを含む10数カ所の公立、私立小学校から総数725点の作品を収集し、ギャラリー独自のプロデュースで大規模な子供絵画展を開催。

同年6-7月
フランス、ニースにて撮影したHelmut Newton / ヘルムート・ニュートン作、“BIG NUDES”(5枚組)と過去に撮影済みのネガから選出した“DOMESTIC NUDES”(5枚組)シリーズの製作を開始。限定:各15

同年5月-6月
Jean-Michel Basquiat / ジャン=ミシェル・バスキアの初の大規模な独自の展覧会(DRUGS, ARMANI AND THE ART OF JEAN-MICHEL BASQUIAT)を開催(バスキア個展年譜に掲載)。 カタログ序文はLARRY WARSH (バスキア財団公認鑑定員)とパートナーであったJANE RANKIN-REIDが執筆。

同年4月
奇才TODD RUNDGRENのインタラクティブ・ミュージックをアーティスト実演の元にその音源にリンクした映像をCG化した総数55点の作品群を製作。ライブ・パーフォーマンスを伴った展覧会の開催。限定:各3

同年2月
青山に実験的展覧会スペースをオープン。第1回展覧会、Andy Warhol / アンディー・ウォーホルとRupert Smith / ルパート・スミス
による抽象作品展を国内で初めて公開。

1992年6月
写真家Helmut Newton / ヘルムート・ニュートンへのギャラリー独自の撮り下ろし、プロジェクトを提案。
許諾と共に草案への着手。

1990年
時代の寵児Mark Kostabi / マーク・コスタビ、シリーズ版画(5枚組)を版元として製作。 限定:各99

1989-1990年
Andy Warhol / アンディー・ウォーホルの原画並びに版画を併せた取扱高が1,000点を超える。

1988年
Keith Haring / キース・へリング作、シリーズ版画“GROWING”の日本国内での 独占販売権を版元、
MARTIN LAWRENCE より取得。

同年8月
Jean-Michel Basquiat / ジャン=ミシェル・バスキアの急逝によりアーティストの国際的市場への
関与を開始、バスキアを取り扱う世界的なギャラリーの1つとして注目を集める。

1987年
Andy Warhol / アンディー・ウォーホル、連作版画、“BEETHOVEN”の日本国内での独占販売権を版元、
HERMANN WUNSCHEより取得。

1986年
Andy Warhol / アンディー・ウォーホル、シリーズ版画“COWBOYS AND INDIANS”日本国内での独占販売権を版元のGAULTNEY KLINEMAN並びに米国内販売元であるFRED DORFMANより取得。
アンディー・ウォーホルに日本企業をテーマにした日本版“ADS”シリーズの製作を提案し許諾されるも、翌1987年2月のウォーホルの急逝の為、RUPERT SMITHによりプロジェクトは継承され、1989年に「ウォーホルに捧げるポートフォリオ」として初の版元としての版画作品(10枚組)を完成。
限定:各100

Keith Haring / キース・へリング作、シリーズ版画“ANDY MOUSE”の日本国内での独占販売権を版元、
GEORGE MULDERより取得。

1985年2月
Andy Warhol / アンディー・ウォーホルとの出会いにより彼のシリーズ版画“ADS”の製作現場に出入りし、刷り師並びにアート・ディレクターであったRUPERT SMITHとの親交を深める。この頃にギャラリーの方向性を「ポップ・アートとポップ・カルチャーの探求」に焦点を定める。

1984年8月
UC BERKELEY並びにUCLAの芸術学部で学士を取得した佐竹昌一郎により東京、日本橋に画廊設立。両校教授群(Karl Kasten / カール・カステン、JoanBrown / ジョアン・ブラウン、Jan Stussy / ジャン・スタッシー、Chris Burden / クリス・バーデン、Charles Ray / チャールス・レイ)らの協力の元にカリフォルニア在住のアーティストを初めて日本に大体的に紹介。